でじたけ流 教育論-心置場
 

でじたけ流“教育論”第1136回
心置場


自我が目覚めて以降
若い頃というのは…

自分の中にはまだ
知識も経験も
むろん経験も実績も
ないものだから

とりあえず
金を手にすれば
何とかなる
…なんて思ってた

少しでも金があれば
格好をつけねことができる

格好をつける…という
大本の動機は
モテたい一心ではあるが
何も異性にだけでなく

年上の同性にも
一人前に見られたくて
格好だけ真似たりして

そもそもこの
一人前…とか
大人…とかいう
そういう概念に対して
ロイヤリティを感じていた

ロイヤリティの対象は
やがて
特定の異性やチーム
組織や職業という
具体的なものに変化していく

もちろん家庭もそうだ

ロイヤリティの対象は
つねに
自分の居場所を
確保してくれる相手である

言い換えれば
自分を支えてくれる相手
…なのだが

自分の考えを大切にするあまり
ロイヤリティの対象を
自分に置き換えてしまうと
これがどうにも
うまくいかなくなってしまう

傍目には
単なるワガママで
自己中心的にも見られるだろう

現にその通り…なのだが

自分を大切に思うのは本能で
至極当たり前のことであるが
はたして
自分というのは
自分の考えによって
成り立ってはいない

そのことを勘違いすると
うまく生きていくための
頑張り方を
大きく間違えることになる

朝起きた時
その日にやろう…と
自分で考えたことが
実際にいくつできたのか?

そうして
日々悔やんでいる者が
自分の考えて生きているなどと
胸をはって
言えるものではないだろう

ロイヤリティの対象は
つねに自分の外に置いておいた方が
まずは生き抜くためには得策だろう

誰かのため
何かのために働いて
ひとまず賃金を得て食いつなぐ

そこがまず一人前

見返りを求めることなく
誰かのため
何かのために働いくことができたら
愛を手に入れられる

見返りを求めているうちは
まだロイヤリティの対象が
自分にある証拠

自分を捨てられない役者は
修行の足りない大根役者だ

こんな風に整理してみたことを
やがて子供たちが読む機会があれば
何かのヒントになるのではないか…

答えは
自分で見つけるしかないけれど

すぐに頑張りが
きかなくなってしまう
…そんな時には
身の置き場を変えるより
心の置き場が
間違っていないかどうか
よく考えてみる必要がある

やっぱり…人生、日々更新

Copyright 1998-2022 digitake.com. All Rights Reserved.


バックナンバー  人生日々更新 -Main-