でじたけ流 教育論-教える覚悟
 

でじたけ流“教育論”第1104回
教える覚悟


今日の次は明日で
明日の次は明後日

明日を飛び越えて
明後日に行けないことは
わかりきっているはずだ

にもかかわらず…
山の八合目あたりにいる人間が
まだ五合目あたりで
道を探している人間に向かって

そっちじゃなくてこっち
…と言うくらいはまだいいだが
それでも迷っているのに業を煮やし

間を飛ばしてここに来い
…なんて言ったってどだい無理な話

教え育てる側にとって
まず必要なのは
…待つことかもしれないね

自分が迷った場所で
後を歩く者が迷わないよう
あれこれ言うのは親切だろうけど

考えてみれば…
迷わなければ
わからなかったことばかり

苦しんでいるところを
見るに堪えかねて
すぐに答えを教えてしまうのは
まず自分の気持ちを
落ち着けたいがためじゃないか

答えを教わった方も
その時は苦しみから
逃れることができていいだろうが

やがてすぐに次の難問に向き合う
でも
自分で答えを出したことがないと
誰かが答えを出してくれるのを
待つばかりで…自分では一向に解けない

答えの出し方を
伝えることが教育であって
答えを教えているだけでは人は育たない

つまり…待てないと人は育てられない

そしてもうひとつ
覚悟しなければならないのは
答えの出し方を伝えられたとしても
そこで出した答えが
自分とは違うかもしれないということ

自分なりの答えを出して進んでも
自分と同じ場所に来るとは限らない
…ということだ

自分が今
親や先輩と決して同じ場所には
立っていないことを思えば
至極当たり前のことだし…

先人が立った場所は
先人の時だから立てた場所であって
その場所がいつまでもあるわけじゃない

やっぱり…人生、日々更新

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