でじたけ流 教育論-背中越しに見せるものがあるか
 

でじたけ流“教育論”第1096回
背中越しに見せるものはあるか


学校で教わったことは
てんで覚えていないのに

部活動や
自主的にやっていたことは
詳細に覚えている

違いはやはり
この…自主的に
…というところだろう

興味がなくなるところ
記憶もまたなくなる

…とゲーテは言った
まさにその通り

やらされていること
…と
やったこと
…の違いは大きい

昔三流大学にいた頃
教授が話してくれたことで
ひとつだけ覚えている言葉がある

どこを出たかではなく
何ができるかが重要だ

その教えだけは守っている
…というより
劣等生の自分には
それしかやりようがなかった

さて
親の背を見て子は育つ
…という言葉があるが

背中越しに見えるものとは
いったい何だろう

裏を返せば
正面切って教え込もうとしたものや
説教した話なんて
育つためには
何も役に立ってないのかもしれない

自分もそうだったしね

親や先輩
さまざまな世界のスターたちの
背中越しに見た世界…

そこに憧れを感じると
もっとそこを見たくなる

憧れと興味は同意語に違いない

自分もやってみたい
それには
どうやってやっているのか知りたい

そうやって
自らを訓練していくことが
育つこと
成長することにつながるのだろう

それでは
背中を見せる側に必要なことは何か

それは…見本づくりだと思う

いくら自分が
何かをてきるつもりでいても

説明抜きで見せられる
見本がなければ

なかなか信じても
感じてももらえない

見本になるようなものを
作り上げることができなければ
人に何かを伝えたり
教えることなんて
…到底できやしない

やっぱり…人生、日々更新

Copyright 1998-2021 digitake.com. All Rights Reserved.


バックナンバー  人生日々更新 -Main-