でじたけ流 教育論「辛さの楽しみ方」
 

でじたけ流“教育論”第1034回
「辛さの楽しみ方」


周囲から自分は…
実に楽しそうに生きている
…ように見えるらしい

家でも会社でも
そう言われることがある

別に
そう見られたいと思って
そうしているわけではないし

あまり近しい人に
そう言われるとかえって…
人の苦労も知らないで
…なんて
斜に構えたくなることも
ないではない

だが
そんな風に見られることは
願ってもないことだと思う

家でも会社でも
そこにいる人たちを
引っ張っていかなければならない
ポジションにいる自分が
楽しそうでなければ
誰もついて来ようとはしないだろう

その先の景色を見たい
…とは思わなければ
そこで足は止まってしまう

楽しかろうが辛かろうが
生活のために仕方なくそうしている
…という人も
中にはいるかもしれないが

それは楽しむことが
不得手な人の
自分自身に対する言い訳
…ではないかと思う

楽しさ…は
楽しいだけ…ではない

音楽やスポーツだって
泣く思いで練習をしたうえで
弾けることがてきる

辛さを楽しむのが本当に楽しいこと
他人から与えられるものじゃない

でも
その人と一緒にやっていると
自分独りでは越えられなかったものを
越えることられるような気がしてくる
…そんな思いは
引っ張られる方だけじゃなく
引っ張る側も同じこと

独りで食うなら
カップラーメンでもいいが…
みんなで食うなら
もっと旨いものを食いたいと思う

そのために頑張る

子供たちの時代は
自分たちの時代に比べて
かなり
生きづらい時代になるかもしれない

どうすればいいのか
…それは皆目見当もつかないが

何をするか…ではなく
どの方向に頑張るか…

頑張らない生き方…なんて
言葉遊びに惑わされて
カップラーメンばかり食べていないで

せっかく生まれたからには
本当に旨いと感じられるものを
口にできるように…

そのことが伝わるといいな
…と思うし

そうやって
楽しい人生を送らないと
先に死んでった奴に
土産話もできやしない
…という思いが
いつも自分を焚きつける

やっぱり…人生、日々更新

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