でじたけ流 教育論「大人の自由」
 

でじたけ流“教育論”
第1003回「大人の自由」


暇さえあれば猫のように眠りこけている
子供たちを見るにつけ思うのは…

子供の頃は、自由だったな
…ということ。

もっとも、ウチにはもう
未成年の子供は1人もいないはずだが。

子供の頃は、自由だったな
…と思うようになったのは、
大人と呼ばれるようになってからだ。

子供の頃は、
大人の方が、もっと自由だと感じてた。

より長く起きていられて、
お金もつかいたい時に使える
…そんな大人に憧れもした。

ところが、いざ
その年になってみると…

寝たいけれど、寝ていられないし、
必要なお金を稼いで来なければならない。

仕事が増え、
家族が増えてくると、
年を追うごとに
自由ではいられなくなってくるのが現実だ。

もっとも毎度思い返すように…
仕事が増えれば、達成感も増え、
家族が増えれば、
心配と同時に喜びも増えるわけで
…年相応の責任と喜びがある。

そして、
自由に対するいつもの結論は…
不自由さを選ぶ権利でしかない
…ということ。

ただ、
大人になる、ならないは、
年をとる以上は
選ぶことができるものではない。

年相応にこなしていかなければ、
社会との間にギャップが生まれ…

そのギャップに気づくことで
自信は失われていってしまう。

居場所を与えてもらうことに対する
感謝は…
行動をもって還元しなければならない。

たとえ身体が動かない病人であっても、
介護者に笑顔を見せるだけで、
介護者は達成感を与えられるものだ。

行動によって
他人に何かを与えることができる
…そのことが、
また自信につながっていく。

選ぶべき自由は、行動する自由であって、
何もしない自由は、
別の何かをする自由であるべきだと思う。

出かけないで寝る…のだって、
寝るということを選んでいるわけだし。

ただし…
寝過ぎ、食べ過ぎは、次の行動を鈍らせる。

しばらく使わなかった
草刈り機のエンジンが、
なかなか、かからないように…。

挙げ句、伸び放題の草を見て、
もう無理だ…とあきらめるようでは、
自由を行使した代わりに
理想を失うことになってしまう。

やっぱり…人生、日々更新。

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