20000514

でじたけ流 教育論第1回 はじめての100


今年、小学校に入学した長男が、初めてテストの答案用紙を持ってかえって来た。

テストの内容は「10までの数」。絵に描かれたリンゴの数を数字で入れたり、並んだ2つの数字のうち大きな方に丸をするといったモノだが・・・。
親にしてみれば、ついこの間ようやくしゃべるようになった息子が、テストの答案用紙に自分で名前を書いているというだけでも驚いてしまう。

答えには、すべて赤い丸がつけられていて、名前の横には大きな花丸が書いてあった。
何だか懐かしいな・・・花丸。

長男は・・・。
「オレなんか、これが配られたとたんにできちゃった。先生が説明をしてるうちに終わっちゃって一番に出したんだぞ」と得意顔だ。

この話を聞いた瞬間、一番に思ったのは・・・自分の小さい頃によく似ている、というコトだった。

さすがに、この年になると、小学校に入学して最初にやったテストなど覚えていないが、とにかく早さを競ったコトだけはよく覚えている。

我が家では・・・と言うか、私は長男が幼稚園に入園する頃から常々「先生の言うコトは聞かなくてもいい」と教えている。

私が、いわゆるサラリーマン教師が大嫌いなのが、その一番の要因で・・・。
だいたい学校を出て学校に入った人たちに一般の働く人たちの苦労などわかるはずもないと思っている。
先生の言うコトを聞いてなれるのは先生という職業だけ。それも、これから先はわからない。

幸い私自身は先生には恵まれたと思っているが・・・思い起こせば、今でも年賀状のやりとりをしているそういう先生たちは、はたから見ると、とても「先生らしく」はない人たちで・・・よく学年主任のベテランに文句を言われているところを目撃したモノだった。

それに先生の言うコトだからと言って無条件に従うというのもヘンだ。それほど出来た先生が、そんなにたくさんいるとは思えないし・・・。マニュアルを疑うところから新しい工夫が生まれるモノだとも信じている。

しかし、私がそんな態度をとっていても・・・やっぱり息子は先生にホメられたいらしい。

もちろん、それは子供として自然なコトだと思うし、親がこう言っていても自分が正しいと思って先生に従うのなら、それはそれでいい。疑うコトはいずれ必要になってくるだろうけれど、何もハナから否定してかかるコトもないだろうし。

テストを一番に出したと得意がる息子を見て、自分の子供の頃を思い出すと・・・。
次に息子が進んでいく道も何本か見えてくるような気がする。

これは私が中学に入った当時の話だが、英語の時間、最初にやったテストで100点をとった。

当時、仲がよかった仲間がクラスに2人いて、もうひとりも100点をとり、残りの1人は99点だった。
確か疑問文を作る問題で「?」を付け忘れていたんで1点減点されていた。

思えば、そのテストが学校の勉強に対するその後の運命を変えたと思う。

長男のイラスト
長男の幼稚園の手提げカバン用に描いたモノ
100点をとった友人は、おそらく努力をして100点をとったのだろう。その後も努力を続けて、六大学へ進んだので私とは付き合いがなくなった。
99点をとった友人は、それが悔しくて悔しくて、その後勉強をして成績はグーンと上がった。けれども記憶に頼った試験の成績を追う傾向が強く・・・応用力に欠ける欠点を持っている。でも、今でも付き合いはある。ちなみに独身だけど。

で、私はと言うと・・・。
別に努力をして100点をとったワケでもなかったので「何だ、こんなモンか」と安心しきっているうちに成績は、どんどん下がり始めた。
気がついたら、どうしようもないところまで行っていたが・・・。
その代わり「答えがひとつではないモノ」のトリコとなって、こうして今も文章を書いている。

はたして息子が、どの方向に進むのかはわからないが・・・。
私に似て理屈っぽいところがあるから・・・やっぱり馬鹿にしてかかっちゃうだろうな。

知ってるコトとできるコトを違いを正直に認められるようになるには・・・少なくとも、あと20年くらいはかかるかな。経験上。


でじたけ流 教育論

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